ラース・フォン・トリアー(監督、脚本)×ロビー・ミューラー(撮影)が描く・・・美しくも残酷な、究極の愛
ストーリー:1970年代初頭のスコットランド。戒律が厳しく、排他的な村に育ったベス(エミリー・ワトソン)は、油田の労働者ヤン(ステラン・スカルスガルド)と結婚する。幸せな結婚かと思われていたが、厳格なプロテスタント信仰が根強い排他的な土地では、誰もが祝ってくれるものではなかった。ある日ヤンは油田の事故で全身麻痺の障害を負ってします。回復の見込みのないヤンを献身的に世話をするベス。そんな彼女に、ヤンはあえて愛人をつくるように説得する。苦悩するベスが選んだ道は・・・。
出演:エミリー・ワトソン、ステラン・スカルスガルド、カトリン・カートリッジ、ジャン=マルク・バール、エイドリアン・ローリンズ、ジョナサン・ハケット、サンドラ・ボー、ウド・キア
★★★★★ 慈悲とは、、、。
この作品は個人的にキリスト教の慈悲を感じます。好き嫌いがでる作品だと思いますが、私は2回みて好きになりました。作品が何章かに分かれてるのですが、その始まりの音楽と絵がなんとも素敵なんですよ。こういう作品ってアジア人にはない感性だなって感じます。
★★★★★ 悲劇を越えた喜劇
普通の人間が一生の間に遭遇する現実世界における時間経過、空間、因果律の形式を分かりやすく見せて、時間を短縮し、描いた作品。現実世界のあらゆる現象一般の形式を「感動、痛快」の概念形式にねじ曲げて描かれる全ての漫画や映画は有る意味有害で普通人にとっては残酷ですらある。脳内ホルモンの観点からみても快感の伴う妄想には必ず現実に引き戻された時の反動がある。全ての虚栄は降りるときには飛び降りるしかない崖を命綱なしで登るようなもの。愛する人の為に、または自分の為に、頑張ろうと命を削って行う、夢の実現、幸福実現、資本による自己実現、全て現実に不満生じていること前提で存在できる概念、ネガティブなもので実現しても虚栄ですぐ当たり前になる、叶えば退屈という憂鬱な苦痛に襲われる。はたからみて順調な人生は少数で、そう見えても内実は、悲劇や苦悩の連続で、他人には理解されるどころか隙あらば妬みの捌け口、スケープゴートにされ、年を重ねるごとに苦悩は複雑化し、増していき、それに耐えて、平均寿命に近づいて、たどり着ける、確実なものは、病気の苦しみや死の恐怖と別れ。それでも悲劇の主人公を気取る事もままならない、スポットライトなんて当たらない。片眼で涙を流しながら片眼で笑う、喜劇役者か、ピエロのようなもの。最後本来なら主人公は暴行された後、重りつけて海に捨てられてるはずだと思う、なんで病院運ばれてきたのか不自然。旦那が治るとか鐘が鳴るとか、義理の姉が信者に抗議するとか、中途半端になるような、ねじ曲げ的な演出はいらなかった。医者が抱くの拒否するのも、優しい義理の姉がいるのも、主人公の見た目に愛嬌があるのも、世の中現象としての悲劇よりはるかに恵まれてるかも?だからそれらの設定は不要かも知れない。この路線でやるなら、もっともっと鋭い作品だして欲しい。それ以外はある意味痛快な映画。満足より知足。
★★★★☆ ずっと考えさせられた映画
ラース・フォン・トリアーという監督は変態なんじゃないかと言うくらいヒロインを悲劇に突き落とす。そう見せておいて、実際はヒロインは幸せで幕を閉じる。これはこの監督が人間がいかに醜いものか知悉していて、それでも現実の娑婆世界に心を一切汚されない人間(ヒロイン)が懸命に生き、愛す者の為なら何も代償は要らないといった高貴な、純粋な心でいさせるからである。彼女が愛する夫の為に払った犠牲はあまりにも大きいかも知れない。けれども、彼女は純粋に夫を愛する気持ちからそれを受け入れる。その対照的なのは世間の目の汚さ、意地悪さ。純粋な心と、その心を地獄に突き落とす世間の信仰。この監督は神を信じながら、世間の穢れた信仰への挑戦を突きつけた傑作である。
作品の詳細
作品名:奇跡の海 |
原作名:Breaking the Waves |
監督:ラース・フォン・トリアー |
脚本:ラース・フォン・トリアー |
公開:デンマーク 1996年7月5日、日本 1997年4月12日 |
上映時間:158分 |
制作国:デンマーク、スウェーデン、フランス、オランダ、ノルウェー、アイスランド、フィンランド、イタリア、ドイツ、アメリカ |
製作費:750万ドル |
興行収入:2300万ドル |
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